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アーカイブ: 11月 2019

源頼朝の死因は歯周病??

寒気が身にしみる季節となりましたが、皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。

最近では、テレビの影響もあり歯周病が全身に影響を及ぼす怖い病気と認知されつつあるように感じます。
そんな歯周病に歴史上の人物も苦しめられていたかもしれません。
それは源頼朝です。

1185年、壇ノ浦の戦いで平家が滅亡し、頼朝は征夷大将軍に任ぜられ、独裁権力を握ります。
その後、大江広元ら有能な官僚による統治システムを進めますが、1198年12月27日、相模川で催された橋供養からの帰路、落馬して体調を崩し、翌年1月13日に死去しました。
死因に関しては諸説ありますが、落馬の際は一過性の脳虚血発作であり、一旦は回復したものの、その後も致死的でない発作を繰り返し、水を飲んで誤嚥し、肺炎から敗血症をきたして死亡したのではないかと考えられている説があります。
いずれにせよ、それまでの『吾妻鏡』には頼朝の健康に関する記載がほとんどありませんが、死去約4年前に歯の病に苦しんだという記載があるようです。

もし歯周病であったとすると、単に口腔内の炎症であるのみならず、心内膜炎、アテローム硬化、脳梗塞、虚血性心疾患、糖尿病などのリスク因子となります。
さらに歯周病患者では、口腔内の嫌気性菌自体が誤嚥性肺炎のリスクとなります。

度重なる暗殺未遂、そして幕府設立に至る権力闘争で多くの一族や部下を粛清してきた頼朝の絶え間ないストレスは、歯周病を悪化させ、歯周病が孤独な権力者の全身を蝕んでいったのかもしれません。
もしこの時代に頼朝が適切な歯科治療や口腔ケアを受けることができていれば、倒れて寝たきりになっても誤嚥性肺炎で死んでしまうことはなかったかもしれません。

歯周病は、虫歯と並ぶ歯科の2大疾患のひとつです。
厚生労働省が3年ごとに実施している「患者調査」の平成29年(2017)調査によると、「歯肉炎及び歯周疾患」の総患者数(継続的な治療を受けていると推測される患者数)は、398万3,000人で、前回の調査よりも66万人以上増加しました。

軽度のものも含めると、成人の約70~80%の人が歯周病に罹患していると言われています。
口腔内だけでなく全身疾患の予防のためにも、歯科治療と口腔ケアを徹底していきたいですね。

(参考文献:早川智『戦国武将を診る』朝日新聞出版)

歯科医師
末次里沙

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歯磨きの起源と歴史

皆さまこんにちは。歯科医師の小松です。
11月に突入し徐々に冷え込む季節となりましたが、ご体調を崩されてはいませんか。

今回は口腔清掃の起源についてお話ししたいと思います。
皆さまは、いつから口の中を清潔に保つ習慣が始まったのかご存知ですか?
口腔清掃の起源には世界共通のものがあります。
それは医学的見地からではなく、信仰とともに起こったと言われています。
人々は神に祈る前の身を清める作法の一つとして口を漱ぐことにはじまりました。
ギリシャの哲学者アリストテレスがアレキサンダー大王のために書いた『健康の書』にも記載がある通り、紀元前から口腔清掃の習慣があったことがわかります。
そして歯磨きの歴史について実証されている世界の最も古い記録は紀元前1500年頃のエジプトのパピルスにあるものと言われています。
また、日本における歯磨きの起源は6世紀ごろの仏教伝来とともにあります。
B.C.5〜6世紀にインドで起こった歯木(しぼく)と呼ばれる木片を咬砕したもので歯面を擦り始めたのが始まりとされています。
仏教が日本に導入された頃には、僧侶、公家などの上流階級が身を清める儀式として歯磨きを行なっていました。
そして江戸時代になると、歯木は房楊枝へと形を変えて商品化されました。
また、この房楊枝には3つの働きがありました。まずブラシ状になっている部分で歯を磨き、反対側の尖っている部分で歯と歯の間の汚れを取り除きます。
さらに柄のカーブした部分で舌をこすり、舌の掃除もしていたそうです。

また以前では塩を用いて歯磨きをしていましたが、歯磨き粉(砂の歯磨剤)も普及し庶民にも歯磨きの習慣が浸透していきました。
しかし当時の人々の口腔衛生管理の意識は現在に比べて低く、知識も少なかったため虫歯や、歯周病になって歯を失う人が多かったそうです。
江戸時代の俳諧師 松尾芭蕉もその一人です。自身の歯についての句を次のように詠んでいます。
「むすびより はや歯にひびく 清水かな」
これは、手で清水をすくい、口にいれようとするとその冷たさが歯にしみる気がするといった意味です。虫歯や歯周病により冷水のおいしさも十分に味わえなかったことを嘆いているように思われます。
一方で、次のようなお話もあります。
養生訓など健康に関する本を著した江戸時代の儒学者 貝原益軒は、83歳にして歯を一本も失っていなかったそうです。
養生訓にて「毎日、時々、歯を叩くこと36度すべし、歯かたくなり、虫くはず、歯の病なしと」と述べています。
これは12世紀に中国で記された「養生方」に出てくる「叩歯(こうし)」の歯のケア方法に由来します。叩歯とは、歯をカチカチ鳴らすことで歯の骨を丈夫にする噛む健康法で、虫歯にもならないと言われていました。
このように、現在のような歯ブラシや口腔清掃方法が確立されるまでは多くの人が虫歯や歯周病で苦しみ、独自の健康法が編み出されていたのだと想像できます。

歯ブラシの登場

江戸時代末期の開国により明治時代初期には現在の形のような歯ブラシが西洋文化とともに流入してきました。
日本で初めて発売された歯ブラシが、この西洋歯ブラシを真似て作られた鯨楊枝とよばれるもので、鯨の髯を柄にして馬毛が植えられていました。
そしてこの歯ブラシという言葉が最初に使われたのは大阪盛業会社が明治23年頃『歯刷子(はぶらし)』という名称で出品してからの事で、さらに商品名として歯ブラシという言葉が使われるようになるのは大正3年、『万歳歯刷子』が登場した後からでした。
さて、この歯ブラシの登場はとても画期的な出来事であったと思われますが、当時は人々の関心が低くすぐには浸透しませんでした。
その理由としてあげられるのが、動物の骨と毛という素材で作られた馴染みのないものであった点でした。
また歯ブラシは高価なものであり、文明開化後にもお歯黒の風習を続けている女性には房楊枝は歯の手入れに欠かせない必需品とされていた為、なかなか浸透せず、一般に普及したのは日常生活の洋式化が進んだ明治時代の後半から大正にかけてのことでした。
余談ですが、このお歯黒をつけるという習慣は既婚婦人の証明であったことはよく知られていますが、その他にも虫歯予防の見地からも有効であったとされています。
このことをヒントに、お歯黒に使われていた成分で子供の虫歯予防・進行防止を目的とする歯科用薬剤が作られました。
しかし最近の日本では審美性の観点からあまり使われなくなりました。

お話を戻します。
明治時代に歯ブラシが西洋文化とともに流入し、日本でも歯ブラシの生産が始まりました。
歯ブラシが脚光をあびるようになるにつれてブラシ製造を専業とする業者も徐々に増えブラシ製造技術を発展させてきました。
しかし発売当時は全て手作業で行われていたため作業効率が悪く、また歯ブラシも現在のような形や素材よりも劣るものでした。
そこで歯ブラシの企業は、より清掃性の高い歯ブラシの開発を求め大学病院などと共に研究を積み重ね、昭和26年頃になると現在のようなナイロンと樹脂からなる歯ブラシが登場しました。
ナイロンと樹脂は大量生産が可能であるため画期的な発見であったと言えます。
さらに現在では年齢や用途によって歯ブラシの形や硬さなどが異なる多くの種類の歯ブラシが誕生しました。

また清掃補助具として以下のものも誕生しました。

・舌ブラシ 舌の上の口臭の原因になる舌苔を取り除く
・タフトブラシ 重なった歯の隙間や1番後ろの歯の奥など磨きにくい箇所を磨く
・歯間ブラシ 歯と歯の間の清掃や被せ物(ブリッジ)の下の部分を磨く
・デンタルフロス 歯と歯の隙間を磨く

さらに、歯磨剤も砂などが含まれた歯を磨くためだけの物理的歯磨剤から歯を強くするためにフッ素などが配合された化学的歯磨剤に進化していきました。
そしてこのような清掃器具の研究開発の要素にブラッシング方法が加入していき、近年では日本歯科医師会による口腔衛生の向上を普及、啓発する運動や厚生労働省による歯科疾患の実態に関する調査なども行われるようになりました。
詳しくはこちらをご覧ください。

日本歯科医師会 啓発運動一覧
https://www.jda.or.jp/enlightenment/
厚生労働省 歯科口腔保健関連情報
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/kenkou/shikakoukuuhoken/index.html

まとめ

歯磨きの歴史はいかがでしたか?人類は紀元前から口腔清掃をはじめ、清掃器具に関しては、より適した形をもとめ技術を磨き改良を重ねることで現在の形が人々に定着しました。
歯磨剤や清掃補助具に関しても日々研究が進んでいます。
このように便利に健康が手に入れられる時代であるからこそシチュエーションに合った清掃器具を選択し、正しい使い方をマスターすることが大切です。
全身の健康と関係の深い歯を守るために、日々のオーラルケアを大切にしましょう。

(参考文献 改訂歯ブラシ事典・見て楽しい歯的博物館)

歯科医師 小松リナ

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